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東京高等裁判所 昭和45年(う)228号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人宮原守男、同西垣道夫共同作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用し、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。

控訴趣意第一点について

原判決の掲げる各証拠によれば、原判示事実をすべて肯認することができ、記録を調査し且つ当審における事実取調の結果を総合して検討しても、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認はなく、また法令の解釈適用を誤まつた違法もないから、論旨は理由がない。以下所論の主要な点について当裁判所の判断を述べる。

控訴趣意第一点の一について。

弁護人の主張の要旨は、

原判決は、被害者中島素子が被告人の車に乗車した経緯について、被告人が当初から中島をドライブの相手にしようと考え、「バスの中でいつも会つているではないか」などと嘘まで言つて、いかにも親切に送つてやるような態度を示して同女を同乗させたと判示し、中島が被告人の車から飛び降りた原因については、あたかも被告人で無理に同女をドライブに連れていこうとしたために同女が飛び降りたかのように判示して、右各経緯を前提として被告人に刑法上の保護責任があるとしている。しかしながら、被告人は、中島を同じ方向ならば乗せていつてあげようという小さな親切心から、きわめて気軽に乗車をすすめ、同女も気軽にこれに応じ、自ら扉を開けて乗車したのであり、被告人は、同女が気安くつきあえる人と思つたのでお茶かドライブに誘う気になり、同女がここで結構です、と下車を求めたとき「まだいいじやないか」と言つて、相手の気持を促したところ、同女は何を誤解したのか瞬間的に自ら扉を開けて飛び降りたのが真相である。そして、右の事実によれば、被告人に刑法上の保護責任を認めることはできないから、同女が同乗するまでの経緯および飛び降りるまでの事情につき、原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認がある。

というのである。

よつて関係証拠を仔細に検討するに、被告人が自己の運転する自動車に中島を同乗させた経緯および同女が同車から飛び降りるに至つた原因は原判示事実のとおりであることを肯認することができ、これと異なる所論の如き事実を認定するに足る証拠はない。そして、原判示事実を基礎として、被告人が中島に対して保護責任を負うとした原判決の判断は正当であること後述のとおりである。結局、所論は原判決と異る事実上の前提に立つて原判決の結論を非難することに帰する。

控訴趣意第一点の二について。

弁護人の主張の要旨は、

(イ)  中島の受傷は、高速で動いている場所から飛び降りたことに起因するもので、車両等の交通に起因するものではないから、原判決が被告人に対し道路交通法第七二条第一項前段による救護義務を認めたのは同条の解釈を誤つている。仮に右の救護義務が認められるとしても、同条は単に道路交通に関する行政の便宜のために緊急措置を要求しているにすぎず、その救護義務は、刑法第二一八条第一項にいわゆる保護責任とは異質のもの、あるいは、はるかに低度のものにすぎず、前者の義務違反があつてもただちに保護者遺棄にあたるとはいえない。

(ロ)  原判決は、その事実認定のもとで、被告人は条理上当然に中島を保護すべき責任があるとしているが、刑法第二一八条の規定は、被害者の生命身体に対する危険よりは行為者の保護義務違反に対する非難を中心に考えて単純遺棄罪より重い刑を規定しているのであるから、単なる条理を根拠に同条の保護責任を認めることは許されない。

というのである。

しかしながら、原判決の認定した事実によれば、中島は被告人の運転する乗用車の助手席に同乗して、走行中飛び降りて負傷したというのであるから、右は道路交通法第七二条第一項前段にいう「車両等の交通による人の死傷」にあたり、被告人は同条項による救護義務を負うことは明らかである。そして、刑法第二一八条第一項の保護責任の根拠は、法令、契約、慣習、条理などのいずれであるかを問わないのであつて、所論のように条理を除外すべき理由はない。したがって、本件のように、自動車運転者が歩行者を誘つて助手席に同乗せしめて走行中、しきりに下車を求められたにもかかわらず走行を継続したため、同乗者が路上に飛び降り重傷を負つた場合に、その救護を要する事態を確認した運転者としては、いわゆる自己の先行行為に基き、刑法第二一八条第一項の保護責任を有するものというべく、このことは右運転者が道路交通法第七二条第一項前段の救護義務を有すると否とを問わないと解すべきである。原判決が、被告人につき道路交通法上の救護義務があるとしたうえ、さらに、条理上当然に同女を保護すべき責任があるとしたのも、以上と同趣旨の判示をしたものと解されるので、同判決には、刑法第二一八条第一項の解釈適用を誤つた違法はない。

控訴趣意第一点の三について。

弁護人の主張の要旨は、

原判決は、被告人が中島を付近の畑内の窪みに移したうえ同女を置去りにして逃走したと判示し、あたかも作為的に遺棄した如き認定をして、被告人に実刑を科しているが、被告人は、中島がかなりの負傷をしているのを発見し同女を病院に収容するため抱き上げたところ、道路の反対側にある静公運輸から人が出てくる気配がしたので、発見されては事が大きくなると考え、同女を抱いたまま畑の中に入り隠れたが、さらに人が近づいてきて自分が発見されそうになつたため、悪く誤解されては困るので、同女をその場に置いたまま車に乗つて立ち去つたもので、被告人は畑内に隠れたところまでは中島を遺棄する意思は全くなく、仮に遺棄罪を認めるにしても単純なる不作為による遺棄にすぎない。すなわち、原判決は、遺棄行為の点についても判決に影響を及ぼすこと明らかな事実誤認がある。というのである。

よつて審按するに、原判決の認定したところによれば、

「被告人はいつたん中島の倒れているところに立ち戻り、同女が重傷を負つて意識も定かでないのを確認しながら、付近の家から人の出てくるのを認めるや、ことの発覚および逮捕等をおそれ、同女を右道路を左(北側)端より約三メートル北に入つた柿沢一雄方畑内の窪みに移したうえ、同女を同所に置去りにして逃走し、もつて病者を保護すべき責任がありながらこれを遺棄したものである

というのであつて、右判文上は、遺棄罪の態様としていわゆる置去り(不作為)のみを認めたものか、移置(作為)をも認めたものか必ずしも明らかでない。しかし、原判決の掲げる証拠その他の関係証拠を総合すれば、被告人が中島を柿沢一雄方畑内の窪みに移したのはもつぱら他人に発見されるのをおそれて、中島ともども一時人目をのがれるためであつたとも考えられるので、この段階で中島を遺棄する犯意があつたと認めることはできない。されば原判決の右判示部分は、遺棄罪の態様として不作為による置去りのみを認めたものと解するのが相当であるから、この点についても原判決には何ら事実の誤認はない。

なお、弁護人は、被告人が中島の体を投げたことも引きずつたこともないことを主張し、この点に関する原審証人打越省二の証言には矛盾点が多く信用できないことを縷々強調する。なるほど右証人の証言には、若干の矛盾、不明の点あることは否定できないけれども、これを原審記録について仔細に検討し、原判決挙示のその余の証拠と対比すれば、原判示事実にそう部分については十分措信するに足りるうえに、原判決は被告人が中島の体を窪みに移すときの方法や処置についてまで具体的に判示しているわけではないので、所論は、その前提を欠くことに帰する。〈以下略〉(吉川由己夫 大沢竜夫 岡村治信)

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